映画「エレファント」

Elephant
2003・アメリカ
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ジョン・ロビンソン,ティモシー・ボトムズ
カンヌ映画祭パルム・ドール2003


苛めっ子社会に抗するとしたら、事実上これ以外にない。
とは言えこの映画は苛めシーンもそんななく、必ずしもそれが原因だとさえ示唆していない。
結局世の人間はいじめ人間の方が多いし、成功者の多くは苛めっ子だろう。
苛めっ子の方が悪いと口先では言うが、実は彼らは常にいじめられっ子の方が悪い原因を探している。
うじうじしようがグダグダしようが、あんたらにとやかく言われる筋合いあるかね? 自分の行動は自分で選ぶ。それが気に入らないからってあんたらに嫌がらせされる筋合いあるかね?
ベスト・キッドとか、完全にいじめっ子の論理で、わざわざ偉そうな師匠に支配され、好きでもない空手の練習して、苛めっ子と勝負してあげて、完全にいじめっ子に対して得なだけの展開だ。
そういう馬鹿映画に対するアンチテーゼでもあるのかな?
自分が強い人間で正しい人間だと自惚れるのは結構だけど、結局はそういう人間が苛めっ子なんだよね。
そういう人はこういう事件が起きることが理解できない。悲しい事ですなんて宣う訳だ。
まあでも多くのいじめられっ子はこんな道は選ばないだろう。馬鹿馬鹿しい苛めっ子のために自分自身が破滅するのは馬鹿げている。
つまり自分が正しくて強い人間だと思い込んでいる卑怯者達のために、常に不快な気持ちを抱えたまま生きていくしかない。
だから世の中、時々それが爆発するのだろう、と、言うのが一応の解釈ですね。
自分は格闘技をやって強いから、手を出さない?女には手を出さない?殴る蹴るより卑劣で悪辣な言葉と精神の暴力があるのをあんたらは知らないの? どうしても気に入らないならやったれ? そのどうしても気に入らないの判断が正しい証拠あるのか?
そして卑劣で曖昧な暴力に対する復讐として、銃弾と殺戮の暴力が行使されるわけだ。何も不思議な所はない。
確か真っ先に撃ち殺されたのは、地味な寧ろいじめられっ子の眼鏡の女の子だったね。つまりこの復讐は見境いなしなのだ。
つまりこの手の現象は、犯人たちだけの、苛めっ子といじめられっ子だけの問題ではなく、人類社会すべての問題であるという事。
つまり全ての人間が、自己満足と自惚れの中で安易に生きて行動している、社会の歪みの解消、地震みたいなものだよ。
格闘技だろうと銃器だろうと兵器だろうと、或いは核だってそうだけど、力と暴力の可能性を手にした人間は、色々綺麗事は言うが結局最後いざという時は自己満足に恣意的に、自己本位にその暴力を行使する。
自己満足の格闘技の掟を語っている自分が、銃器によって怒りを爆発させた弱者より高級な人間だと思い込んでいるのは、ちゃんちゃらおかPし図々しいよね。
格闘技をやるのは力が欲しいからだろう。そして力を手に入れた人間は、傲慢になったうえ、結局はその力を自分に都合よく行使し暴力を振るう。
そういうものに興味のない人間も多いが、結局社会生活の中でそんな連中から暴力を振るわれて生きる事になる。その鬱屈と苦しみは、こういう形で解消爆発するしか道はないよ。
幾ら綺麗事の格闘技の掟と力の掟を語ったところで無駄だ。力を持った人間は必ず傲慢に取りつかれ腐敗する。


20251213


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